( )店員さんのBlog

なんか書き殴ってます

圧倒的淘汰が始まる前に、webメディアの未来を綴ってみた

最近、家に帰るとただいまーと喜んで迎えてくれるのが睡魔というやつでして、帰るや否や気絶するように眠りに落ちては清々しいまでの朝日で目を覚まし、つけっぱなしの電気のおかげで体の疲れは取りきれてないわあぁぁミスったぁぁと思うような日々をすごしております。いや、ちゃんと寝よう。

さて、今回は自分なりにwebメディアの行く末みたいなものをまとめてみようかと思い立ち、少しばかりキーボードをカタカタ叩いているのですが、もうすでにアメリカでは始まってることも含まれていたり、僕の想像をふんだんに練りこんだ文章だったりするので、暇つぶしがてら気軽に読んでもらえたら幸いです。といってもそこそこ分量あるんですけどね。

1, メディアそのものには課金されず、記事ごとに課金される

もしかするとみなさんは、毎月日経だったり朝日だったり毎日だったり、月額課金制でなにかしらのメディアを購読し情報を得ていらっしゃるかと思います。ただ、すべての記事を一から十まで一字一句逃さず読んでいるかと言われれば、なかなかでどうして懐疑的ではないでしょうか。もしくは、好みのコーナーやカテゴリーをしっかり読み込み、他はさらっと目を通しているだけ、なんてことは多々あるのではないでしょうか。

それはまるでCDのアルバムよろしく、ある一定数のコンテンツをパッケージ化することで付加価値をつけようとしているだけであり、価格に見合った真の価値は提供されていないのではないでしょうか。というか、もう好きなコーナーやカテゴリーだけ読めればいいよって人は、結構な割合でいらっしゃるんじゃないですかね。それを突き詰めていけば、自分の読みたい記事だけに課金することができれば、それが一番お金と情報、そして掛ける時間における費用対効果は最大化されるんじゃないかと思っております。

2, メディアそのものには課金されず、ライター/編集者に課金される

上述の部分と連動してくるところであり、平たく言えば個人の時代です。言葉自体は手垢にまみれた感覚に苛まれてしまいそうですが、悲しいかな、日本ではまだまだ複数メディアから横断的に収入を得てそれだけで生計をたてられていらっしゃる方は少ないのではないかと思うのです。個人的にファンのライター/編集者の方はもちろんいますが、その方々が、たとえば日経・毎日・朝日・東経などなどの大手媒体を複数またいで、それをメインの収入源とされてらっしゃるとはまだまだ思えないのです。

ただ、前述の媒体のすべての記事が魅力的かと言われれば私的にはノーであり(この場合ライター/編集者ではなく媒体そのものを指しています)、オンライン上ではすでに1曲単位で好きなアーティストの楽曲を購入できるようになっていることから考えるに、媒体そのものではなくライター/編集者単位に課金するようになるのは必然の流れだと思うのです。

3, 一つの元コンテンツ、複数のバリエーション

これは著作権の関係からくるものですが、いつももったいないなぁと思うのです。なぜ一つの作品の一つのストーリーのみが、あたかも最高なのだと捉えられているのが不思議でならんのです。

ここで日本のマンガとアメコミを例にあげましょう。日本の場合は作家に著作権がありますが、アメリカの場合は出版社に著作権があります。ですので、日本では一つの作品からストーリーが変わって複数のパターンで出版されるということは普通ありません。それに引き替えアメリカでは事情が変わってきます。たとえば、スパイダーマンというキャラクターは一人ですが、スパイダーマンを題材にした作品は複数存在します。複数の作者がスパイダーマンというキャラクターを使った作品を書き、出版社はそれぞれ公式のものとして出版します。だからこそ数多くのバリエーションを消費者に提供できるため、より多くのニーズに応えることができるのです。

では日本ではこれをどこで受け止めているかというと、もうすでにお分かりの方もいらっしゃると思いますが、そうですコミケです。一つの公式ストーリーを元にそれぞれの作家が自由な発想でストーリーを展開します。まさしくアメリカ式。つまりは、日本の出版社は本来自分たちが得られるはずだった収益を普通に素人に垂れ流しにしているというわけですね。まぁすでに一つの文化となってしまっているので、いまさら回収するのは難しそうですが。

ともあれ、これはコミックだけに絞った話ではありません。重要なのは、一つの元となるコンテンツを作成した場合、それを軸に複数のバリエーションを用意することで、多種多様な消費者ニーズに応えることが可能となります。さらに、リーチできる数も増加するため、収益面でも向上することが期待できます。一つの素晴らしいコンテンツを作り上げることは非常に素晴らしいと思います。しかし、それがイコールで消費者すべてのニーズを満たしているとは到底考えられません。一つの物事を複数の視点から同時に考察し発信してみるのも、読者からすれば一つの物事に対し複数の視点を一気に知覚することになるので、有益かつユニークだと感じてくれるのではないでしょうか。

4, 「リフレッシュ、リフレーッシュ」

前述の話に少しかぶってくるかもしれませんが、つまりはネタそのものを随時更新していきましょうということです。webコンテンツを作っているときに忘れがちなのが、一度作ってしまえばあとはどんどん次を出そう、違うものを出そうとしてしまっている点です。読者は一度見ただけでそのコンテンツのことを半永久的に記憶することは不可能です。それなのに、巷に溢れるのは既視感のある似たようなコンテンツばかり。

それならば、ユーザーをいかにコンテンツ漬けにするかを考えれば、同じネタでも違う切り口や最新情報を付与させて、どんどん新しいものとして更新し発信し続けるのが良いではなかろうかとも思うのです。まぁだいたいみんなやってるわって思われるかも知れませんが、その後、みたいな感じで物語を書き加えて記事そのものを更新できるのってwebメディアならではの強みだと思うのです。

後日談、じゃない、後日談

たまたま出会ったそのコンテンツに興味が沸いただけであって、そのメディア自体に興味が沸いたわけではないから、そのコンテンツが継続されない限りそのメディアをずっと見続けることなんてないに決まってる、と私は思っています。エンドユーザーを勘違いしちゃダメなんです(自戒を込めて)。

そのメディアに存在するコンテンツがよほど人を惹きつけるものがたくさんあるのであれば別ですがね。そのメディアから発信されているからこそ価値をもっているのか、誰かからシェアされたからこそ価値をもっているのか、それともコンテンツそのものが単純に魅力的だから価値をもっているのか、発信者はそこを取り間違えないように気をつけたいところです。

ユーザーが求めるものの本質を見抜き、最速で創造し提供し続ける。とりあえず一次コンテンツだー二次コンテンツだーキュレーションだーみたいな議論はひとまず置いておいて、発信する場と発信する情報そのものの取り扱いは非常にセンシティブなんでしょう。まぁパクリコンテンツは撲滅されて欲しいですけどね。