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「ドリルと穴」 - その論理は、もう賞味期限が切れている

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 さて、このエントリーではマーケティング論や消費論ついて少し触れていきます。そしてそれらの理論の一部は、現代社会に置いてはもう賞味期限がきれているのではないかという考えのもと、自身の思考を展開してみたいと思います。

 

まずはキホンから

そもそもマーケティングとはなんぞやという人のために、我らが偉大なるドラッカーの言葉を引用しておきましょう。

 

「The aim of marketing is to know and understand the customer so well the product or service fits him and sells itself.」

「マーケティングの目的とは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。

 

まぁ噛み砕いていえば「いかにして売る手間を省くか」ということです。製品・サービスを作ってそれを消費者に販売する、その販売する際のコストが限りなく0に近づけようとするのがマーケティングの出発点です。

 

そして、それをさらに批判していくために、まずはこちらを例として挙げたいと思います。マーケティングについて学び始めると必ずと言っていいほど耳にする事例、それが「ドリルと穴」です。

 

欲しいのは本当に「機能」なのか?

これは消費者がドリルを購入する場合、ドリルが欲しいがために購入しているのではなく、ドリルが持つ「穴をあけるための機能」を買っているのだということ論理です。家具を作ったり組み立てたり、その過程において必要となった穴を創造するために、穴をあける機能をもったドリルを購入しているのであり、別に穴をあけるものであればドリルでなくても良かったのだ、という考えですね。

 

しかし、実は現在のマーケティングレベルにおいて、この論理では不十分ではないかと僕は考えています。では、ここに足りないものとはいったいなにか。それはその先に潜む「人間の感情」という視点です。

 

インサイトを見抜け

ドリルを買って穴をあけたい人は、そもそもなぜ穴をあけたいのでしょうか? 単に家具の制作やリフォーム等を「実施」したいからでしょうか。無論、それを行うためにドリルを購入しているのは明白です。しかし、実際はその行為を行った先にある「満足感」や「幸福感」を得たいが故に穴をあけたいと考え、そしてドリルを購入しているのではないでしょうか。

 

たとえば、ドリルを購入した人物は一人身かも知れませんし、はたまた4人家族かもしれませんし大家族かも知れません。しかし、ドリルを買おうと思い立ったときには

 

「もう一つイスがあれば、誰かを招いたときに一緒に美味しいワインが飲めるな」

「もう少し机が大きければ、みんなで一緒にテーブルを囲むことができる」

「ここの壁を少しアレンジしたら、きっと素晴らしいものになるかもしれない」

 

など、そのような温かい感情、あるいは想いがあったのではないでしょうか。 なにかを創造することにより得られるプラスの感情を想像し、それを味わいたいと思ったからこそ穴をあけたいと考え、その機能を有するドリルの購入に踏み切ったのではないでしょうか。

 

これらの考えから、なにかしらの製品・サービスの購入を決意するその過程や背景、そこに潜む人間の感情を考慮していないマーケティング論や消費論は、すでに現代社会にはフィットしていないのではないかと考えているのです。

 

ほなまた。