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なんか書き殴ってます

情報の力点は常に受信者側に存在する

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どうもこんにちわ、川上(@okyaaaann)です。

 

文字、言葉、画像、映像、音etc。そういった「情報」に対して、いったい発信する方と受信する方ではどっちの方が強いのか、またはどちらに力点があるのか、みなさんはどう捉えていますでしょうかね。

 

  

無限の解釈 

アテクシ的には、情報に関しては受信者に力点があると思っています。受け手の方が圧倒的に強い。さらには受信者の知識やセンス次第で、情報の価値そのものが相当に変化してしまうとも思っています。

 

たとえば、ただのサラリーマンでも中学生でもスーパー高校生でも大賢者様でもなんでもいいのですが、とにかくあなたの目の前に非常に豊富な知識と経験があり、とても人格者でかつリーダー的素質もあるという超が3つはついてもいい有能な人物がいたとしましょう。そしてその人物はあなたに様々なアドバイスをしてくれるとすれば、どのような結果が待っているでしょうか?

 

 

金言と念仏は表裏一体

次にヒットするのはこういうものだ、こういうことを学ぶべきだ、こうすれば経済的に不自由なくすごせるようになる、人間はこういう性質をもっている、恋愛をするなら、数学や物理法則や様々な歴史や人生そのものなどなど、本当に示唆に富んだ様々なことを教えてくれたとしましょう。それらの内容は今後の世界を改変してしまうかもしれないものかもしれません。

 

しかし、本来ならば素晴らしいはずであったそれらの情報もあなたに知識が足りなかったり興味すら刺激されなかったり、それを有用なものだと判断できなかった場合、それらはすべてあなたの前を素通りしてしまい有益な情報はとたんに無用の長物と化してしまいます。情報の受信者きそれらを理解する知識やセンスが著しく欠けてしまっている場合、受信者はそこからなにも得ることはできませんし、なにかを創造することさえ叶わないのです。

 

このことから、情報の力点は常に受信者にあるとアテクシは考えるのですよ。そしてこれは人と人とのコミュニケーションにおいても、とても重要なこと何じゃないかと思っています。果たしてあなたは誰かとコミュニケーションを交わすとき、どれだけ相手のことを考えて言葉や行動を発信しているでしょうか?

 

ほなまた。