「やらない後悔より、やる後悔」なんてものはあり得ない
どうもこんにちわ、川上(@okyaaaann)です。今日もカタカタ言葉を綴る一日です。そして唐突ですが質問です。
「やらずに後悔するより、やってから後悔しろ!」
な〜んて言葉を耳にしたことはありますでしょうか皆様は。たぶんあると思います。え、ない?まぁまぁウソはやめましょう←
さて、この言葉は一見誰かを奮起させるのにもってこいの言葉に見えるかもしれませんが、どう考えたって意味が分からんのです。
やらない=後悔
やる=後悔
いや、おかしくない??
なぜ僕がこの考えがおかしいと思うのかというと、これは上手くいってもいかなくてもその「結果」にのみ焦点をあてているからです。やらなかった場合は「あのときやっていればな」という後悔が心の中にしこりとなって残ってしまう可能性がありますが、行動をおこしてしまえば、「自分はやりきったのだ」という納得感を得ることが出来ます。これにより、人はやらないときよりもやってしまったときの方が、同じ後悔をするにしてもやった方が良いのだ、という寸法です。
ですが、実際その行動を起こす際には結果なんてわかるはずがない。
なので焦点をずらして考えてみるのです。つまり、その「行動を起こした瞬間」に焦点に当てると、実は後悔なんて感情はどこにも存在しないのです。考えても見てください。なにか行動をするにあたっての判断基準のそのほとんどは損得勘定か感情の変化によるものです。良いと思ったから、得だと思ったから、欲しかったから、むかついたから、悲しかったから、デメリットだと思ったから、人間はなにかしらの行動を起こします。つまり、実際の行為はそれに至るまでの思考を経た上での行動なわけです。そして僕があげている後悔という感情は、なにかしらの行為を行ったか行わなかった後の時点での感情です。ならば、後悔するかどうかはわからないのに、やってから後悔しろ、というのは間違っているのではないでしょうか?
すると、この言葉はこう変化させた方がしっくりくるのではないでしょうか。
やらない後悔より、やる満足。
やらずに後悔するより、やって満足しろ。
行動の有無を決断したことにより人の心は納得感を得られますし、さらにそれが成功して得られる感情は満足感ではないでしょうか。大切なのはそのときの決断であり、行為を起こす前の不確実性を嘆いていても意味はありません。それはただの時間と思考の損失です。
ここで壮大な人生論なんてものを展開する気は毛頭ないのですが、あえて1つだけいうのならば、とどのつまり自分が納得出来るかどうかじゃないでしょうか。
ほなまた。